高校時代の後輩が、一浪したあとに入った大学で、小説のサークルに入っていました。高校のころは、本をよく読んでいるようなそぶりはなく、本や小説の話をしたことがあまりなかったので、かなり意外に思いました。彼の話を聞いていると、どうもそのサークルに意中の女の子がいるらしく、目的ははっきりそっちでした。がんばったアタックが功を奏して、後輩はその女の子と付き合うようになり、いちど飲み会につれてきたことがあって、ぼくも顔を合わせました。後輩がわざわざ好きでもない小説サークルに入ってまで追っかけたのがわかるような、美人の彼女でした。ただ、ちょっと変わり者。一見おしとやかで、こちらが水を向けないとおとなしく押し黙っている印象だったのが、小説の話となるととたんに豹変。「ふだんどんな本をよんでますか。」と単刀直入にぼくらに聞いてきて、題名を聞くと、その本の作家のこういうところがいい、ああいうところはダメ、前の作品はこうだったし、クライマックスがだれだれの小説とそっくりだと、マニアックな話が尽きることなく飛び出しました。彼女が席を外したときに、「ぼくもここまでとは思ってなくて…」と後輩。ふたりがいる小説サークルは、かなりの読書家ばかりが集っていて、並の人より本を読んでいない後輩には、肩身がせまい場所なんだと言っていました。ただ、彼女さんには居心地がいいらしく、毎日飽きずに小説の話を繰り広げていて、「今日はまだおとなしいほうです」。最初のお店では話し足りずに、次のお店でもひたすら小説談義。しばらくして、後輩と彼女は別れたと聞いて、さすがに趣味が合わなさ過ぎたかなと、みんな思いました。
数年前、出す本出す本がベストセラーになっているような、ある若い女性作家の小説を読みました。売れている作家さんだけにもちろん期待が大きかったのですが、読後の感想は非常に落胆して、また怒りも感じました。落胆したというのはもちろん大変につまらなかったということなのですが、怒りというのは何に向けられたものかというと、正直私にはそのベストセラー小説が、小説の体を成しているものには感じられなかったのです。いいところ学生が同人誌に発表したレベルのものでした。
最近めっきり小説を読む機会が減った。目が弱くなったせいもあるが、それよりも楽しいことが世に溢れている。テレビは有料も含めると一体何チャンネルあるんだろうか、見たいものがやっていないということはない。「面白いのないから本でも読むか」というパターンは今や存在しない。パソコンを開けば無料の映画や好きな動画がいつでも見れる。アナログの本を読むという習慣は、姿を消しつつある。でも私は小説が好きだ。自分で映像を作ることができる。
こどものころから本を読むのが好きで、学生時代はかならずカバンに小説なりドキュメンタリーなりエッセイなり、いろんなジャンルの一冊を入れて持ち歩いていました。高校までは歩いて通っていて、電車通学になった大学時代が、いちばん本を読んでいたころになります。毎日往復3時間以上かかる電車内では、読書が進むこと進むこと。おもしろいミステリー小説に当たれば、混雑した車内に立っていなきゃならない苦痛が、ずいぶんと減ってくれて、そういう意味でも読書は大切な習慣でした。文系の学科を専攻していたので、講義で出された課題の本を、電車内で読むことがよくありました。
子供の頃は、本を沢山読んでました。その後、まったく読まなくなったんですよねぇ。どうしてだったかは、覚えてません。まぁ、魚釣りに夢中になったのが、原因かと思われますが。それからは、小説なんて聴くと、敬遠してました。何だか小難しそうでしてねぇ。手に取るのも、厭でしたよ。食わず嫌いってとこですよ。それから10年ぐらいして、一冊の小説を貰いまして、すぐに読み始めたかと云うと、これがまた、措きっぱなしでしたねぇ。手が出ませんでした。
小説は、短編のものから長編のものまである。色々あるのだが、ここでは外国の小説を紹介したい。外国の小説で短編の名手で、感動的なストーリーを書ける作家と言えばこの人を思い浮かべる。その作家の代表作は、こんな話であったと記憶している。クリスマスプレゼントを用意するだけの経済力に恵まれなかった男女が、互いに相手の為に自分の大切にしていたものを犠牲にする。しかし、その行き違いが結局は、二人の絆を強いものにするといったストーリーだ。また、ショートショートという分野もある。短編小説よりも更に短い小説を、こう呼ぶ。